歯科衛生士教育制度 (試案)

 歯科衛生士が足りなくて困っています。各歯科医院は悲鳴をあげている状態です。それもその筈、歯科衛生士免許登録者数は25万人もいるのに、諸事情もあるのでしょうが、その半分以上は未就業者だというのです。

歯科医師会もこれらの歯科衛生士の再就職支援に躍起となっています。しかし、それ以上に問題なのは、歯科衛生士に成り手がいないのです。歯科衛生士養成校は、どうも若い女性に人気がないのです。

「現在の歯科衛生士衛生士養成所」

歯科衛生士の供給源である歯科衛生士養成所の入学希望者が少なくなり、その大半を担う専門学校139校は、ほぼ軒並み定員割れの状態です。

そのため卒業就職者に対する求人倍率は遂に20倍以上となってしまいました。

嫁さん1人に婿候補者20人以上ということでしょうか。

それまで2年制の歯科衛生士養成所のときは、ほとんど定員割れという事はありませんでした。

ところが平成16年(2005)3年制になった時から入学希望者が極端に少なくなり、年々減少の一途をたどり、現在一段と深刻さを増しているのです。 

教育年数の延長からくる入学希望者の減少は充分予想できたのです。日本歯科医師会も2年制を存続させようと政治的にも抵抗しました。しかし、厚労省に押し切られてしまったのです。 

なぜ3年制になったのかといえば、厚労省の言い分は、歯科衛生士は「医療職」であり、他の医療職と区別する「固有の特性」をもたなければならないとのことでした。 

歯科衛生士の固有の特性とは「専門知識」と「技能」そして「介護」の3本柱であるとされました。さらに、他の分野の多彩な学問も履修し、バランスのとれた人間像であるべき、というようなものでした。

 

「歯科衛生士養成所のカリキュラム」 

そこで、既に医学、歯学、薬学の教育で取り入られている米国のハーバード大学のコア、カリキュラム方式を、歯科衛生士教育にも適用したのです。 

コア、カリキュラム方式とは、一口で言えば「自主性を持ったバランスのとれた学習」ということでしょうか。 

教育目標を達成するための中心(コア)と、その内容(カリキュラム)を示し、その履修の大筋だけが決められました。 

養成校は、それぞれが独自に考えて、この目標を達成することになったのです。 

各養成校は最適な順番のカリキュラム、独自の学習プログラム、残り時間は個性的な学習プログラムを用意する事となりました。 

利点としては、これにより全国の歯科衛生士学校の教育内容が一本化されたことです。 

しかし、やがて次々と降りかかる難題に歯科衛生士学校は翻弄されることになるのです。 

その後、厚労省側から「国民に、すぐに運用できるもの」という要求で「災害時の歯科保健」と「国際歯科保健」等が新設されました。 

また、「歯科衛生学」は「概論」から「総論」となり、「老化や加齢および口腔機能に関する項目」が追加されました。 

そしてすべての分野で変更が行われ、その内容は大幅に増加されました。 

時代に応じるということでしょうが、その後も新規に「全身管理と周術期の口腔保健」が追加されました。 

このように次から次へと科目が追加され、教育課程の中で膨大な知識や技能等を修得しなければならなくなりました。 

これはかなり酷なカリキュラムで「残りの時間は個性的な学習プログラム」など、と言っても不可能に近いのではないでしょうか。

 

「歯科衛生士の就職先」 

現在、歯科衛生士の就業先は、病院勤務が5%、市区町村、介護保険施設、歯科衛生士学校等の勤務が4%、残り91%が歯科医院などの診療所となっております。 

つまり、ほとんど(90%以上)の歯科衛生士は地方や僻地などを含めた第一線の臨床現場勤務なのです。 

一方、大学4年制(7.2%)の歯科衛生士養成所出身の「学士さま」は卒後「周術期医療」や「口腔機能低下症」などを行う病院や施設などの高度な医療機関に進みたがります。 

もちろん、このような歯科衛生士も必要ですが、これらの方々は地域医療の供給源にはなりにくのです。 

それに対して、地域に密着し、初期医療の分野で役割を果たす多くの歯科衛生士にとって「周術期医療」や「摂食嚥下障害」の指導などの症例に遭遇する機会は皆無といってもよいでしょう。 

前述したように、現在の歯科衛生士養成所のカリキュラムは膨大です。主に初期歯科医療を担って地域を守っている歯科衛生士のほとんど(90%以上)には必要と思えない知識まで要求されています。 

現在の教育制度は、あまりに過酷です。これでは魅力は無いし、若い人には敬遠されても仕方がありません。 

このままでは資格制度、それ自体の存続さえ危ぶまれている状況です。

「歯科衛生士の教育制度」 

今問われていることは現実に則した学習プログラムではないでしょうか。そこで必要なことは、まず、学生の負担を軽くすることです。 

そのためには、歯科衛生士の教育を、2段階に分けることを提案したいと思います。 

教育課程を「診療部門」と「介護部門」とに分けるのです。 

診療部門(歯科衛生士コース)は2年間とし、介護部門(仮称、口腔健康管理士コース)を1~2年間と区分けするのです。 

そのため資格取得は二つとなります。

 

「資格取得について」 

診療部門(2年)は日常的診療範囲である歯科保健指導、予防処置、歯科診療補助、などを履修し、所定の単位を取得したら、歯科衛生士の受験資格を与える事とします。 

歯科衛生士として就職したい者は、ここで社会へと旅立つ。診療分野を2年にするとすれば難色を示す専門家もおられるでしょうが、(準)看護師は2年制です。 

現在、看護師制度は2本立てであります。(正)看護師と(準)看護師です。(準)看護師は2年制で、今も健在です。カリキュラムも改正され充実が図られているのです。 

卒業し資格を取れば全科の診療に対処できるのです。 

それに対して、歯科衛生士養成校の学生は3年間修学して歯科しか専攻できないのです。 

これでは人材は看護学校へ流れていってしまうのではないでしょうか。歯科衛生士養成校も診療部門を2年とし、受験資格を与えるべきです。 

さらに病院や施設での介護、周術期医療や口腔機能低下症など口腔機能管理にも関心がある学生は介護部門(仮称、口腔健康管理士コース)に進み、さらに1~2年就学し、所定の単位を取得した場合は(仮称)口腔健康管理士の受験資格を与えこととします。 

また、一旦社会へ出た歯科衛生士が口腔機能管理に関心を持った場合には介護部門へ編入学できるようにするといった制度です。 

こうすれば学生にとっても負担が少なくなり、また、歯科衛生士を適材適所に配置できる事と思います。 

現在、高校まで出張して、高校生に歯科衛生士学校への応募や、勧誘している歯科医師会や歯科衛生士学校の先生方もいらっしゃると聞いております。 

鉦や太鼓をたたいて勧誘しても、今の制度では無理かと思います。ハッキリ言って魅力がないのです。

歯科衛生士学校は専門知識や技能などの取得単位が多く、さらに不必要な授業まであり、大学ほど自由な時間がありません。これを3年間続けなければならないとなると、その内容にウンザリしてしまい、学生が集まらないのです。応募者が集まらないということは、この制度自体、現実に合っていないということを意味しているのです。 

ハードな3年制では、若い人は息切れして、尻込みしてしまうのです。 

多くの子女が思うことは、親にあまり経済的負担をかけさせたくない、早く社会へ出て、就職し、自立したいのではないでしょうか。 

コ・デンタルの裾野を広げるには診療部門を2年制にすべきです。是非とも、このように制度を改編したいものです。また、改編しなければならないと思います。 

それから、奨学資金などもさらに充実させる必要があります。 

現在のままでは、歯科衛生士制度は崩壊してしまうのではないかと危惧しております。 

栃木県歯科医師会誌2020年(令和2年)2月、3月、4月号

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歯周病菌による全身への影響

  近年、医科歯科連携という言葉が頻りに用いられるようになってきました。

歯科診療の主たる疾患は虫(う)歯と歯周病であり、それらは単なる局所的炎症と考えられておりました。しかし、研究が進むにつれて、局所的炎症というだけでなく、特に、歯周の病変局所からの細菌・細菌産生物およびサイトカインを初めとする炎症性メディエーターが血流(血行性伝播)に乗り、全身の臓器に影響をあたえてくることが分かってきました。それで、これまで見向きもされなかった他科からにわかに、歯科にアプローチされてきているところです。

口腔内には千種類ほどの細菌や微生物が住んでおり、全てが悪玉とはいえませんが、その中でも10種類前後の歯周病菌が、悪玉菌であり全身の臓器から検出されております。それらは嫌気性菌であり、内毒素です。菌は酸素を好まないので、血管に入ると数時間から長くても数日で死滅します。歯周病菌は血管の中で繫殖を続けるのではなく一過性の感染を起すのです。しかし、やっかいなことは、血管内に入った歯周病菌はその数秒の間に血小板同士をくっつけて塊とします。自分はその中に入り込んで生き延びながら、あるいは死菌となり、菌は血小板の塊にのって運ばれ動脈の抹消中の動脈の血栓性閉塞を起すのです。手足などの動脈を詰まらせて先へ先へと進んで行くのです。すなわち、動脈硬化や動脈瘤、そして血栓まで引き起こすことがわかってきました。また、菌は白血球の一種である単球の中にも潜り込み、運ばれるのです。単球の中で歯周病菌は数時間生きていることも確認されております。

心臓の冠動脈狭窄部位から歯周病菌が見つかったのです。歯周病患者には心臓死したものが多く見られました。脳梗塞の患者も歯周病の状態がひどかったのです。大動脈瘤の壁には歯周病菌がたくさん付着していたのです。タバコは血管の内皮細胞という最も強いバリアーを壊し、歯周病菌の侵入を許す元となります。

歯周病菌は心臓の冠動脈狭窄部位、冠動脈の病変、特に心筋梗塞に災いをもたらすこともわかってきました。脳の血行が悪くなって認知症になることも多いといわれだしてきました。

長らく謎であったバージャー病の原因を150 年ぶりに解明した日本人の外科医がいます。バージャー病は感染症であることが確認されたのであります。

歯周病に属するグラム陰性菌による感染でありました。

バージャー病患者の脚の動脈から歯周病菌トリポネーマ・デンティコーラのDNAを発見したのです。調べてみたら同患者の唾液の中の菌DNAと同一であったのです。その患者の口にあった菌が間違いなくはるばる足に運ばれて来た痕跡が残っていたのである。この研究には歯科側も口腔内の歯周病菌の同定に協力しています。また、3種類の有名な歯周病菌株などもその外科医に提供しています。共同研究ということで歯科も面目を保ちました。

サイトカインは本来、毒性をもった菌から身を守るための免疫細胞が分泌するタンパク質の一種であります。そして、サイトカインには炎症を抑制する「抗炎症性サイトカイン」と炎症を引き起こす「炎症性サイトカイン」があります。

歯周病に罹患すると、侵された部位を防御する免疫反応として比較的多量の「炎症性サイトカイン」が放出されます。「炎症性サイトカイン」はその部位から発生するのです。そして血流に乗って全身にばらまかれます。糖尿病患者においては、このサイトカインがインスリンの働きを阻害するのです。そのため高血糖が続いてしまいます。この高血糖は歯周病がひどい人ほど免疫を司る白血球の働きを弱め、歯周病はさらに進行、悪化し、サイトカインはさらに増加する負のスパイラルとなります。

10円玉ほどの大きさの胃潰瘍でもかなり重症とのことですが、広範囲の歯周ポケットの潰瘍は葉書サイズほど大きさだと言われております。そのような歯周病罹患部からは大量のサイトカイン」が発生するのです。

歯周病罹患妊婦の早産や低出生体重児のリスク上昇はよく知られているところです。

一見関係ないと思われた膵臓がん、糖尿病、認知症、関節リウマチども歯周病と関連すると云われだしてきたのです。

以上述べてきたように、歯周病は、歯周ポケット上皮のバリアー破綻による菌血症をおこし、その結果生ずる炎症によるサイトカイン産生は全身に悪い影響を及ぼしているのです。

近年、嚥下された唾液中の歯周病菌による腸内環境への影響も注目されるようになってきました。これまで口腔細菌は、胃酸や胆汁酸により破壊され腸内に生菌のまま届くことはないと考えられてきたのです。

しかし唾液に含まれる口腔内細菌が腸管に定着し、腸内細菌叢の構成細菌になっていることが明らかになっています。しかしながら、その因果メカニズムについてはまだ十分に解明されてはいません、今後の研究課題となるかと思います。

令和7年(20251

那須野ヶ原の過去、現在、そして未来

  那須野ヶ原は九尾の狐の伝説にたとえられるように不毛の土地であった。この土地は広大な扇状地にあり、薄い表上の下は厚い砂礫層から成り立っている。砂や小石混じりのこの土壌は保水力が弱〈、雨が降っても水はたちまち地下深く浸透してしまう。そして、風が強く、特に冬期には北西の季節風が吹き荒れ、風速15mの強風も稀ではない。そのため土壌の風食はきわめて大きい。また、春の風もせっかく植えた作物の種はおろか沃土まで飛散させてしまう状況であった。このような過酷な気候条件の中にも生活している人々がいた。これらの人々は地中深く井戸を掘ったが水を得ることが難しく、飲料水にも事欠く有様であった。約380年前の江戸時代初期に初めて蛇尾川から水を引くことに成功した。これを墓沼用水と呼んでいる。さらに熊川や木ノ俣川を開削し取水してきた。これらが巻川用水であり、旧木ノ俣用水である。しかし、素堀であり、砂礫層という浸透性の高い地盤につくられた水路は漏水が多く、また、もろい地盤は土砂崩れを頻発し、よく通水障害を起こした。そして末端に行くほど水量を確保することが困難となった。多くの先人の努力に関わらず、この土地は人間を拒否し続けてきた。この地域に生きる人々にとって毎日の生活が水を求めるためのものであり、正に那須野ヶ原の歴史は「水との問い」そのものであった。明治に入って那珂川からの取水に成功した。これが那須疏水である。だが、これとても那須野ヶ原の状況を大きく変える要因とはならなかった。那須野ヶ原の保水力の悪さは、同時代にできた安積疎水や明治用水と比較してみればよく分かる。那須疏水の灌漑効率は安積疏水の約60分の1、明治用水の18分の1である。那須野ヶ原の保水力の悪さは、これら他の二つの地域と比べても明らかであった。どんどん水が地面に浸透してゆくため、水田を張りたくても張れなかったのである。戦後、那須野ヶ原には引き揚げ者を中心に多くの開拓者が入ってきた。当時、既存の用水は常時漏水がはげしく、多くの人々の生活水の確保が問題となってきていた。また、飲料水として表流農水を使用していた。そのため腸チフスや赤痢などの伝染病が多発、用水の改修工事が急がれた。しかし、用水改修工事には多くの困難と犠牲が伴った。昭和41年には新本ノ俣用水隧道工事に参加した地元住民25名が死亡するという大惨事も引き起こした。それでも多くの先達の血と涙ぐましい努力により徐々に水路は整備されていった。「風」の対策として、この土地では幾多の工夫がこらされた。住居に屋敷森を設け、また、農地の表土を守るための防風林を植えた事である。これは全国的にみてもきわめて珍しい那須特有の風景である。昭和42年から始まった国営事業部須野ヶ原総合開発によってこの地域の風景は一変した。河川本の流量は春の融雪期や梅雨の時期に大幅に増加する。しかし、この時期の大部分の水は使われることなくそのまま下流へ流れてしまっていた。そこでダムを建設することにより、この時期の水を貯えておき、水の安定供給と洪水対策を図ったのである。この目的のために深山ダムや板室ダムが建設された。さらに同様の目的のために西那須野には赤田調整池、黒機には戸田調整池、そして湯津上のファームポンドなどが建設された。また、それぞれが独立して運用されていた那須疏水、新・旧木ノ俣用水、暮沼用水の四用水は効率的な水利用の実施のため根本的に改革された。すなわち高林用水を加えた幹線水路を設けることによって各用水の相互利用が可能となった。さらに水路はU字溝、暗渠、サイホン等を用い、パイプライン方式も取り入れて漏水を極力おさえた。これによって不毛の土地は肥沃な大地へと変化したのである。今夏は全国的に干ばつが続き、渇水を訴える地域をテレビ、新聞等が毎日報道していた。しかし、かって水利の悪い土地であった那須一帯は断水はおろか節水されることもなく今夏を乗り切れたのである。最近の国土庁による国民意識調査では国民の70%近くが首都移転に関心をもち、新首都の居住環境として「自然と調和した豊富な緑」「東京から新幹線で1 2時間程度」のところを期待している人が多いという。国内で北海道を除いて、平地にこれだけ雑本林が残っている地域は他にないといわれる。近くに福島空港もできた。那須一帯は新首都としての条件に合っているところが多い。近頃、無秩序な宅地転用によって屋敷森や防風林が急速に減少しつつある。今からこれらに対処してゆき、この地域の特色でもある「風」を克服できれば国会誘致もあながち夢ではないと思う。 

                                                        那須歯科医師会沿革史

平成7年(19956


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年々歳々花相似、 歳々年々人不同

  脚光を浴びて登場したGTRも理論はすばらしいが、いざ実戦となると適応症が制限されるきらいがある。インプラントも華やかであるが、これとて治癒機転は接合上皮が下方へ延びてきて、本来の歯根膜附着とはかなり違った像を呈している。この点、自、他家いずれの歯牙移植も本来の歯根膜機能を保持し、欠損顎提に天然歯同様の組織構造を得ることができる。また歯槽骨の添加も期待できるので顎提の廃用萎縮の防止にも役立っている。

一方、現在歯周外科療法としてSRP、PCur、FOPなどが行われている。しかし、その対象が複雑でその上狭い口腔内での操作は煩雑であり、全てが明視野では行われ難い。ペリオの専門医でも軟組織に歯垢を押し込んでしまったり、歯石を取り残してしまう事もあるといわれ、パーフェクトとは云い難い。

近年、歯周組織を再生する能力をもつ細胞の存在が次々に証明され、それらを活性化させる事で、歯の支持組織を修復させる治療法に目が向けられてきている。

細胞を刺激し、組織を再生させる可能性を有する因子としていくつか挙げられてきているが、その一つにエナメルマトリックスデリバティブ(EMD)がある。これは歯周疾患の中等度以上の外科手術に応用されつつあり、歯根面に塗布することによリダウングロスも発生しないといわれる。最近、歯牙の再殖、移植が比較的容易に行われるようになってきた事から今後の歯周外科療法はかなり違うものになるのではないかと思う。

すなわち歯周疾患の中等度や重度の外科療法を必要とするものは、狭い口腔内での煩雑で不確実な操作を避け、むしろ一度歯牙を抜去し、口腔外に取り出し、明視野でSRP、CMDなどを併用して埋めもどすといった方法がより多く取り入れられる事になるのではないだろうか。

一昨年、臓器移植法が施行され、折りしも国内で初めての脳死患者から臓器移植が行われている。東洋的倫理観からするとどうかという問題はさておいて、医科においては臓器移植がさかんに行われてくる時代がきている。

歯科においてもこれからは自家移植は言うに及ばず他家移植、異種移植も応用されてくる事であろう。歯医者はヒト(患者)の歯でメシを喰っていると椰楡されてきたが、患者本人も他人様の歯でメシを喰う時代が来ると思う。

            東京歯科大学同級会報

平成11年(1999)3月

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徳川将軍大名家と 現代人の顎

   私はある小学校の学校歯科医をしている。担当小学校の就学 児童健診に行ったときのことである。健診室へ案内する女 性教諭から「来年のじぶん一年生は顎がさらに劣化していますかね …」と話しかけられた。 一瞬、言葉に詰まり。「いや、そ んな事はありませんヨ」とのみ答えた。どう話せば分かって もらえるのか考えてしまったのである。学校保健委員会とい うものもある。これは保護者、教師、学校医の懇話会である が、そこでは必ずといってよいほど保護者から子供の顎の退 化と食事との関連の質問を受ける。また、学校によっては子 供の顎の退化をふせぐため「カミカミ給食」などといってよ く噛んで食べる指導を行っているところもあるという。それ はそれで良いことであるが、 一般の人々には今の子供や若 者の顎の退化は定説化しているようである。 

確かに、最近、日本の若い世代の顔が急に変わってきたとい う話を聞くようになった。父親が角張った顔、母親が丸顔で あっても、その息子や娘は鼻が高くなり、面長のほっそりし た顔だちのものが多く見受けられる。また、歯列不正も日 立って多くなり、なかには咀疇や閉口、嘆下の困難な児童も 増えていると言われだした。現代の子供たちは硬い食べ物を 嫌い、軟らかいものばかり食べている。そのため顎の形成不 全を起こし、咀疇筋の発達も悪く、長い顔となり、歯列不正 の増加を招いている。と一般の人々には信じられて久しい。 

この問題の発端は東大名誉教授鈴木尚氏の御研究の結果が大 きく関与していると思われる。東大人類学教室の鈴木尚氏は 徳川将軍・大名家の墓地を発掘調査し、その遺骨を仔細に観 察した。その結果、これらの貴族の骨格は一般庶民とかなり 異なっていたと報告した。特に頭蓋骨の形には著しい特殊性 が見られるという。 

江戸時代の一般庶民といえば寸のつまった丸顔に低くてしゃ くれた幅の広い鼻と反っ歯が特徴であった。それに対し将 軍・大名の顔貌は狭顔型であり、後代になるほどさらに過狭 顔型になると述べている。顔の形を調べるには顔の高さと顔 の幅との両経の比をパーセントで示して用いる。 

つまり狭顔型とは顔の上下の長さに比べて顔幅が狭く細長い

顔型をもっている事を示している。また、顎骨を司る各骨も 非常に脆弱であり、咀疇筋である咬筋、外側翼突筋、側頭筋 も後代の将軍ほど発達が悪いことを伺わせるという。上顎骨 体は庶民より小さく、上顎骨の鼻棘点が庶民の値より後退し ており、歯槽上溝の出現などもみられる。これらの点から上 顎骨は萎縮または発育不全とみなされるという。下顎骨も基 底部と歯槽突起の間は狭窄し、歯槽下溝が出現している。上 下顎の発育不全にかかわらず歯の大きさは庶民と変わりがな い。そのため顎骨に歯が並びきらず著しい歯列不正を来して いる。また、歯の咬耗はほとんどなく、すべての咬頭はあた かも歯が萌出して間もない青年の頃の状態であり、表面は宝 石のように美しい光沢があったという。 

この状況をみると将軍の食生活は極めて精選され、ほとんど 噛む必要がないほど軟らかい食物を採っていたと推測される とも述べている。発掘された仙台の伊達家の三代(政宗→忠 宗→綱宗)の間でも将軍家同様、順次顔がより細く長くなっ ており、咀唱器官の退化現象もみられるとしており、内藤家、 

水野家、尾張家などの諸大名も同様であったという。 

一方、同時に発掘された将軍・大名の夫人たちの頭骨を観察 すると一様に同じ特徴をもっていた。それは狭顔、狭鼻、高 鼻根隆起、高眼寓などの容貌の方々ばかりであった。それら の顔貌は浮世絵に描かれていたような面長の鼻の高い、しか も反っ歯の程度も低い、いわば現代的な顔のタイプであった。 

江戸時代の一般大衆は丸顔で鼻根が低く、反っ歯の強い、伝 統的な中世期の顔をなお執拗にもち続けていた。このなかに わずかながら現代的なタイプの人々が現れてきた。この現代 的なタイプの若い女性を浮世絵師は見逃すはずはなかった。 浮世絵師はこれらの近代的美人を浮世絵として描き、広く頒 布し、一般大衆の欲望に応えた。当時の一般大衆にとってこ のような女性は真に高嶺の花であらた。そのような美人が将 軍や大名といった当時の上流階級に正室、側室として迎えら れたのである。この事は重要な事である。それはそのような 形質を次の子孫に与えた遺伝的影響はきわめて大きかったと 思われるからである。

江戸時代の将軍・大名にあっては彼らの上・下顎と関連する 咀鳴筋に発育不全が認められ、老年になっても歯の咬耗が全 く無いという驚異すべき事実であった。これは食生活の特殊 性に一つの原因があるとしか考えられないという。軟食が咀 疇器官の萎縮または発育不全を促し、将軍や大名の顔の幅を さらに狭くする役割を果たした。この狭顔型の顔貌は軟食と 母系遺伝的因子によりもたらされたものである。両者は相乗 され、その結果、徳川将軍や大名家にみられるいわゆる貴族 顔が出来上がったと結論づけた。 

さらに古人骨の研究結果、先史時代から江戸時代を経て現在 に至るまで時代と共に日本人の頭型、顔型、鼻型、眼寓型の 各形質は変化し、顎は退化してきた。そして今の日本人の顔 つきになったという。 

そして衝撃的なことは将軍・大名の顎は軟食により著しい退 化現象を起こし、現代人をも超越して、その延長線上にある 近未来人の姿であるとも述べていることである。この説に他 の人類学者も肯定的である。 

軟食による顎の発育不全の警鐘が鳴らされ、このことは一大 センセーションを巻き起こした。何故なら現代ではファース トフードがもてはやされ、今の子供たちは硬い食品を避け、 カレーライス、ハンバーグ、オムレツ、ラーメンにスナック 菓子などの軟らかい食品を好むからである。 

これでは江戸時代の将軍や大名なみの華奢な顎となり、身体 は大きいが体質の弱い子供になってしまうのではと懸念され た。事実、小児の骨折が多発したり、小児成人病なる言葉も 使われだした。今の子供の体内で得体の知れない現象が起き つつあり、その表面に現れた現象の一つが顎の退化ではない かという不気味さが醸しだされてきた。 

顎が小さくなっていると主張する学者によれば、ここ約30年間で劇的に小さくなっているという。井上氏は先史時代か ら咬耗の減少、すなわち軟食することによりほぼ平行して顎 骨が縮小してきたと説き、伊藤氏はネズミに練性食品のみを 与えて飼育し、第六世代以降では下顎枝を中心に顎骨の縮小 が認められると報告した。

李氏は食生活の変化により1965年を境に下顎骨の縮小と 皮質骨の非薄化が現れていると述べている。その他、顎の退 化に関する多くの論文が報告されている。 

軟食により顎の発育が悪くなり、不正咬合になるというこの 事は一見真実味があり、多くの人々に信じられてきた。しか し、ネズミを用いた実験は日常生活ではありえないような極 端な条件下での結果であり、また、李氏の論文では肝心の歯 槽骨基底部の測定値が求められていない。長岡、山内氏らは 40年前の計測値と比較してみるとむしろ上下顎とも大きく なっていると報告した。 

町田氏は若者の身長が著しく伸びている現在本当に顎だけが 小さくなっているのだろうかという疑間をもった。下顎骨は 大腿骨や脛骨と同じ長管骨に属し、これらは同じ機序で成長 発育するという。身長が伸びれば同じ機序で大きくなるはず である。佐藤氏もその論文で下顎骨の成長速度は身長、手指 骨長、頸椎長のいずれに対しても類似性を示していると述べ ている。町田氏は20年近くもの間、患者を3オから2ヶ月 毎に口腔内の診査を続け、成長発育の状態を長期間、詳細に 観察してきた。そして乳歯や永久歯の早期喪失を来すことな く永久歯列へと移行させることができた。 

ところが、完成期の配列状態は正常歯列、叢生歯列、空隙歯 列へと三型の歯列弓に分かれてしまった。これらの子供たち の成長期の摂取食品について調べてみるといずれも比較的軟 らかい食品を取り、食生活にはほとんど差が認められなかっ た。また、叢生歯列の子供の親の歯並びはやはり悪いものが 多く遺伝因子の関与が示唆された。 

以上のことから成長発育期の摂取食品の硬軟と永久歯列の排 列状態との間にはほとんど関連性はないものと考えられた。 また、側貌頭部X線規格写真を用いて永久歯列期の各排列状 態と顎骨の大きさとの関連性について直接計測してみた。す ると過去30年前から行われてきた各研究者の計測結果より も大きな値を示していた。歯槽部は小さくなっているどころ かむしろ大きくなっていたのである。さらに歯並びの悪い成 人を調査すると小児期に齢蝕羅患率が極めて高かった事が 判った。

現代の若者の顎はむしろ30数年前よりもやや大きくなって おり、また、歯並びの悪さの原因は遺伝的要素と虫歯羅患率 によるものであった。 

さらに顎の大きさと摂取食品の硬軟とは関連性がないと町田 氏は結論づけた。この論文結果を追試するため中原氏は青年 男子の顎の石膏模型にてその歯列弓長径、同幅径、歯列弓三 角を計測し、同方法の60年前の計測値と比較してみた。 

すると全ての数値において現在の方がより拡大を示していた。 このことは間接的ながら顎が大きくなっていることが示唆さ れた。また、日本小児歯科学会では全国の歯科大学小児歯科 学講座から提供された頭部X線規格写真を30数年前の計測 値と比較検討した。その結果、やはり顎、顔面頭蓋の長さの 増加は著しく、深さの増加も補正値以上であり、幅の増加は 下顔面部で顕著に認められた。 

一般に信じられていた顎の退化は研究者の地道な研究の結果 むしろ大きくなっていることが判明した。しかし、町田氏も 指摘しているように、だから直ちに硬い物を食べなくてもよ いという事では決してないと述べている。このことを一言付 け加えておかなければならないと思う。 

口腔及びその周囲は咀鳴以外に会話、呼吸、精神的な緊張に よる噛みしめなどによっても常に働いている。日系アメリカ 人や日系ブラジル人などの顔は両親が日本人でありながら 我々日本人からみるといわゆるバター臭い顔、すなわち外国 人のように感じることがある。日系アメリカ人の顔の審美的 な調和についてアメリ力人、日系アメリカ人、日本人との比 較を行うと日系アメリカ人の値はより白人の値に近づいてい る。これは言語発声様式の違いによるためと言われている。 

外国語は日本語に比べ口唇周囲の筋肉を動かすことがはるか に多い。このことは我々が英語や他の外国語を発声するとき に如実に痛感するところである。日系アメリカ人と日本人と の間の形態的な違いはこの下顔面を中心とした筋肉の差にあ る。このように顔貌を決定するものは咀鳴という機械的運動 だけではない。

また、鼻疾患や前歯の著しい唇側傾斜により口唇の閉鎖が困 難な場合には日呼吸を生じやすい。その場合上下口唇は厚く なり、緊張感を欠き常時開口気味となる。いわゆるアデノイ 

ド顔貌を呈する。スポーツ選手の歯は瞬発力を必要とする時、 相当の咬合圧を受けている。歯、顎がしっかりしていること がスポーツ寿命の鍵を握っていることはよく知られるところ である。その他、歯のくいしばりや歯ぎしりの総称として用 いられるプラキシズムの時にも相当の咬合圧を受けている。 これは健康レベルにあるヒトでも夜間睡眠中に相当長時間に わたって上下顎歯を咬合接触させていることが明らかにされ ている。これらは咀鳴時以上の機械的咬合圧である。 

将軍家の食生活は時代によって多少の違いはあるが、五代将 軍綱吉の頃から形式化してきたといわれる。 

将軍の朝食は一汁二莱であった。案外質素である。毎朝の肴 は鱚(キス)という白身の魚が出たという。なぜ鱚を食べるかという と鱚は読んで字のごとく、魚篇に喜ぶと書き、おめでたい魚 とされていたからである。しかし、これを1年間365日、 一生の間、毎朝、同じお菜を食べ続けるのである。新鮮なも のなら非常に味のよい魚だが毎日となるとどうだろうか。 

また将軍の食膳に入れてはならない食品もたくさんあった。 現在、ビタミン・ミネラルの補給源としてなくてはならない 野菜・海藻・果物の中の多くの種類が献立からはずされてお り、食べられなかったのである。ネギ、にら、にんにく、 

らっきょう、ふじ豆、さやえんどう、わかめ、あらめ、ひじ きなどの野菜、海藻類。このしろ、まぐろ、さんま、いわし、 さめ、いな、なまず、ふな、こい、あさり、かき、赤貝など の魚介類と千物類。魚は主に白身のものが選ばれ、赤身は下 等とされた。鰹は刺身として食膳に上ることはあった。しか し、この刺身の魚くささや脂肪をぬくため、 一切れずつ水 でよく洗うので身が縮れてアライのようであったという。 

天ぷら、油揚げ、納豆など一切だめ。これらは以下物といっ て食膳には供されなかった。獣肉は兎だけで、鳥肉は鶴、雁、 鴨しか使わず、それも狩猟の成果を祝うものとして、あるい は季節的な贈り物として登場してくるが、常食されていた

ものでない。要するに蛋白質、脂肪分が甚だ少なかったと思 われる。瓜、桃、みかん、すももなどの果物は食膳にあがる がただ見るだけの飾りであったそうである。まるで栄養価の 高い食品を選んで除いたのではないかと思うほど乱暴な制限 であった。 

将軍の生活は午前中は日によって儒教や歴史の講義を受け、 また武道の稽古もする。きちんと稽古着に着替え、道場に出 て、竹刀をもって稽古するといえば聞こえがいいが、これも やがて形式化され、稽古たるや竹刀で床を3回たたくだけで 終わりとなる。あまりにも運動にならない稽古であった。初 代将軍の家康は鷹狩りや水泳で体を鍛え、また毎朝、集中力 と筋力を高めるため、的をねらって必ず鉄砲を3発撃ってい たという。そしてこれを終生続けたといわれる。後代の将軍 とは大違いである。家康の教訓は生かされなかったのである。 

発掘された前期将軍の身長は当時の一般庶民の平均身長より まだ高い。しかし、後代の将軍になるほど体格も悪くなり、 身長も一般庶民より低くなる。これは将軍の食生活が形式化 されるのに伴っており、その辺の事情を物語っているのでは なかろうか。諸大名も将軍家を最高の規範としていたから食 生活も将軍家にならったもので低栄養な食生活であったと考 えられる。 

人間の体格を決めるのは遺伝的要因や人種の違い、環境的要 因としては生活習慣と栄養、運動などの諸因子がある。 

将軍や大名は日のあたらない不健康な生活を強いられ、成長 段階から制限の多い食生活であり、その内容は低蛋白、低脂 肪による低栄養の献立で育てられた。また運動らしい運動を 行うことも少なく、日常生活では緊張感を必要とすることも あまりなく、瞬発力を養う機会にも恵まれなかった。つまり、 

将軍や大名の骨や顎骨が華奢なのはこれらの積み重ねの上に できあがった産物と考えるのが妥当と思われる。 

発掘された将軍夫人たちの中で顎の萎縮がみられたのは唯一 皇室出身の和宮のみであった。上顎骨は狭くて小さく、後期 将軍と同様の典型的な歯槽上溝を形成し、下顎もまた発育が 悪く、庶民にはない歯槽下溝が高度に形成され、下顎骨体と

下顎技にみられる咬力伝達機構は将軍と同じく甚だ弱い。夫 家茂(十四代将軍)とは血縁関係は全くないのに頭骨の形質は まるで兄妹のように似ていたという。身長は当時の一般庶民 と比較してもかなり低く、体格もよくなかった。生まれたと きから、宮廷の伝統的で淡白な料理で育てられ、運動らしい 運動などもさせられなかった。また、大腿骨が異様に内転し ていた。しとやかさを失わないよう爪先を内側に向けて歩く ように教育された結果であろうといわれている。結婚してか らは、大奥で、やはり形式化された食生活を続けていたため 結核にもかかっていた。 

将軍たちと皇女和宮のみに顎発育不全が見られたのは今まで 述べてきたように食材の硬軟によるというより食物の質に問 題があったと考えられる。すなわち、低蛋白、低脂肪の食生 活や運動不足などによってもたらされたものといえよう。ま た、寡黙を強いられ、喜怒哀楽を大きく表現することも抑え られ、口腔周囲ならびに顔面筋の発達も悪かったと思われる。 

将軍、大名、そしてその夫人たちの細長い貴族顔は見方に よっては日本人の美意識が生み出した成せる技といえる。い や、人間のつくったアートといえるかもしれない。 

なぜなら、日本のみならず欧州においても同じ傾向がみられ るからである。スペイン王のフェリペ四世に代表されるよう に細長い顔は貴人の証でもあった。細長い顔は丸顔や角ばっ た顔より高貴さを表すのか、欧州の王侯、貴族はいずれも長 い顔を好んだ。洋の東西を問わず、細長い顔は高貴性をあら わし、また、威厳を与えると思われたのであろう。 

明治時代以降、戦争の一時期を除いて日本人は高身長化傾向 にあるという。明治以来、ほぼ10年に1センチの割合で伸び ており、さらに、ここ50年の間では2、4センチの割合で 伸びている。 

昭和30年半ばに入って高度経済成長を機に日本人の生活は 大きく変わった。子供たちも砂糖を含むお菓子類をふんだん に食べれるようになり、 一時う蝕が社会に蔓延したことは 周知の通りである。それまで日本の一般庶民は雑穀類を食べ ている方が多かった。それが現在ほど乳製品をはじめ肉、

魚を食べている時代をかつての日本人は経験しなかったと思 われる。 

この食材の質が急激に良くなったことと歴史的にみて日本列 島が高温期、温暖期にあるため、若者の身体が大きく伸び 育っているのである。そしてそれに伴い顎も一まわり大きく なっている。 

しかし、それ以上に顔の長さも大きくなっており、また身長 が著しく伸びたため身長の割合からみると比較的顔が小さく みえる。そして更に顎も細くなったように見えると思われる。 

将軍・大名の母系は代々全て細面の女性で占められており、 殿様顔(狭顔型)の形成は遺伝による細い顔、 一方、現代の若 者の細面は高身長に伴う長い顔、同じような顔でもその形成 の中身は別の理由によるものといえる。 

軟食による顎の退化がこれほどまでに世間に流布してきたの は日本人の深層心理の中に儒教的思想が根強くあるためでは ないだろうか。「軟らかいものばかり食べていても顎は退化 しません…」では面白くもオカシクもない。苦学励行とか努 力すれば報われる!といった言葉は今でも人の心の中に生き ている。「軟食していると顎が退化してしまう」と言った方 がインパクトがありそうである。だから好き嫌いを言わずに 何でもよく噛んで食べましよう。そうすれば顎の発育もよく、 

健康にもなります……。こういった教訓めいたものが日本人 には心理的に好きなのではないだろうか。 

この心理的なものと顎の退化論がうまく融合し世間に広く受 け入れられる土壌が日本社会にはあるのではないかと思われ る。 

アフリカで人類が発生したのは440万年前とも600万年 前ともいわれる。人類学は数百万年という時間で人をみる。 古人骨から現代までの骨を比較してゆくと顎の退化現象(い わゆる小進化)をはっきりみてとることができる。しかし、 数十年というスパンで人をみると顎は縮小どころかむしろ拡 大の様相を示していた。

退化(小進化)というものは一直線に進むものではなく、各時 代の生活環境因子、例えば栄養や気候などにも大きく左右さ れ波線を描きながら進んでゆくものではないだろうか。 

人間にとって好ましいと見られる変化は進化として受け止め、 反対に好ましからざる変化を退化とみなす傾向がある。 

現代の高身長傾向とそれに伴う変化が進化といえるのか、そ れとも反対なのか、現代人がそのどちらに向かっているか、 それは判らない。 

平成13年(2001)5月 

郷土綜合雑誌 那須野原 第12号

〔文献〕 

  1. 鈴木 尚他 増上寺徳川将軍墓とその遺品、遺体 東京大学出版会
  2. 鈴木 尚 骨は語る徳川将軍・大名家の人びと 東京大学出版会
  3. 鈴木 尚 日本人の骨岩波書店 
  4. 町田幸雄 顎は小さくなっていない。 日歯医師会誌 
  5. 町田幸雄 乱ぐい歯の原因は「軟食」ではないってホント? 「みんなの 健康」朝日新聞社 
  6. 町田幸雄 「軟食と歯並びの悪さとは無関係」 キューピー株式会社
  7. 樋口清之 日本食物史柴田書店 
  8. 樋口清之 食べる日本史 柴田書店 
  9. 中原 泉 顎は大きくなっているが……。 日歯医師会誌 
  10. 中原 泉 現代人の歯と顎、平成十年生涯研修ライブラリー 日本歯科医 師会編 
  11. 日本小児歯科学会編 日本人小児の頭部X線規格写真基準 値に関する研究 小児歯科学雑誌 
  12. 埴原和郎 歯と人類学の話 医歯薬出版 
  13. 埴原和郎 日本人の形成史 日歯医師会誌 
  14. 井上直彦 歴史時代における咬合の退化 歯界展望 
  15. 井上直彦 歴史的にみた顎の発育推移 日歯医師会誌
  16. 井上直彦 鎌倉時代の歯科疾患 歯界展望 
  17. 伊藤学而 食品の硬さと顎の変化 日歯医師会誌 
  18. 伊藤学而他 顎骨の退化に関する実験的研究 日矯歯誌 
  19. 伊藤学而 古人骨と現在人にみる咬合の推移 西日矯歯誌 
  20. 伊藤学而 中世日本人におけるデスクレバンシー 歯界展望
  21. 李志強他 成人男子における最近二十年間の顎 顔面形態の変化 東北矯歯誌
  22. 黒江和斗他 食物の軟化による咀疇器官の退化 西日矯歯誌 
  23. 長岡一美他 現代日本人成人正常咬合者の頭部X線規格写真および模型計測による 基準値について 日矯歯誌 
  24. 山内積他 最近の日本人正常咬合者の顎顔面形能一について 日矯歯誌 
  25. 佐藤亨至 思春期性成長期における身体各部の成長タイミングに関する研究 日矯歯詞 
  26. 杉浦三香 叢生歯列の発現に関する累年的観察 歯科学報
  27. 与五沢文夫 歯科と顔 日歯医師会誌 
  28. 久保田公雄也 現代日本人の歯の大きさについての観察 日大歯学
  29. 大 「顔」展図録 読売新聞社 
  30. 佐藤方彦 日本人の鼻はなぜ低い? 日本経済新聞社
  31. 亀谷哲也 中世日本人の顎顔面形態 歯界展望 
  32. 茂原信生 ヒトの咀嚇器官の未来を示すもの 歯界展望
  33. 原島 博 顔を科学する 日歯医師会誌
  34. 塩野 幸一 食生活の変容と歯科疾患の疫学 歯界展望
  35. 茂原 信生 イヌと将軍に学ぶ 歯界展望