徳川将軍大名家と 現代人の顎

   私はある小学校の学校歯科医をしている。担当小学校の就学 児童健診に行ったときのことである。健診室へ案内する女 性教諭から「来年のじぶん一年生は顎がさらに劣化していますかね …」と話しかけられた。 一瞬、言葉に詰まり。「いや、そ んな事はありませんヨ」とのみ答えた。どう話せば分かって もらえるのか考えてしまったのである。学校保健委員会とい うものもある。これは保護者、教師、学校医の懇話会である が、そこでは必ずといってよいほど保護者から子供の顎の退 化と食事との関連の質問を受ける。また、学校によっては子 供の顎の退化をふせぐため「カミカミ給食」などといってよ く噛んで食べる指導を行っているところもあるという。それ はそれで良いことであるが、 一般の人々には今の子供や若 者の顎の退化は定説化しているようである。 

確かに、最近、日本の若い世代の顔が急に変わってきたとい う話を聞くようになった。父親が角張った顔、母親が丸顔で あっても、その息子や娘は鼻が高くなり、面長のほっそりし た顔だちのものが多く見受けられる。また、歯列不正も日 立って多くなり、なかには咀疇や閉口、嘆下の困難な児童も 増えていると言われだした。現代の子供たちは硬い食べ物を 嫌い、軟らかいものばかり食べている。そのため顎の形成不 全を起こし、咀疇筋の発達も悪く、長い顔となり、歯列不正 の増加を招いている。と一般の人々には信じられて久しい。 

この問題の発端は東大名誉教授鈴木尚氏の御研究の結果が大 きく関与していると思われる。東大人類学教室の鈴木尚氏は 徳川将軍・大名家の墓地を発掘調査し、その遺骨を仔細に観 察した。その結果、これらの貴族の骨格は一般庶民とかなり 異なっていたと報告した。特に頭蓋骨の形には著しい特殊性 が見られるという。 

江戸時代の一般庶民といえば寸のつまった丸顔に低くてしゃ くれた幅の広い鼻と反っ歯が特徴であった。それに対し将 軍・大名の顔貌は狭顔型であり、後代になるほどさらに過狭 顔型になると述べている。顔の形を調べるには顔の高さと顔 の幅との両経の比をパーセントで示して用いる。 

つまり狭顔型とは顔の上下の長さに比べて顔幅が狭く細長い

顔型をもっている事を示している。また、顎骨を司る各骨も 非常に脆弱であり、咀疇筋である咬筋、外側翼突筋、側頭筋 も後代の将軍ほど発達が悪いことを伺わせるという。上顎骨 体は庶民より小さく、上顎骨の鼻棘点が庶民の値より後退し ており、歯槽上溝の出現などもみられる。これらの点から上 顎骨は萎縮または発育不全とみなされるという。下顎骨も基 底部と歯槽突起の間は狭窄し、歯槽下溝が出現している。上 下顎の発育不全にかかわらず歯の大きさは庶民と変わりがな い。そのため顎骨に歯が並びきらず著しい歯列不正を来して いる。また、歯の咬耗はほとんどなく、すべての咬頭はあた かも歯が萌出して間もない青年の頃の状態であり、表面は宝 石のように美しい光沢があったという。 

この状況をみると将軍の食生活は極めて精選され、ほとんど 噛む必要がないほど軟らかい食物を採っていたと推測される とも述べている。発掘された仙台の伊達家の三代(政宗→忠 宗→綱宗)の間でも将軍家同様、順次顔がより細く長くなっ ており、咀唱器官の退化現象もみられるとしており、内藤家、 

水野家、尾張家などの諸大名も同様であったという。 

一方、同時に発掘された将軍・大名の夫人たちの頭骨を観察 すると一様に同じ特徴をもっていた。それは狭顔、狭鼻、高 鼻根隆起、高眼寓などの容貌の方々ばかりであった。それら の顔貌は浮世絵に描かれていたような面長の鼻の高い、しか も反っ歯の程度も低い、いわば現代的な顔のタイプであった。 

江戸時代の一般大衆は丸顔で鼻根が低く、反っ歯の強い、伝 統的な中世期の顔をなお執拗にもち続けていた。このなかに わずかながら現代的なタイプの人々が現れてきた。この現代 的なタイプの若い女性を浮世絵師は見逃すはずはなかった。 浮世絵師はこれらの近代的美人を浮世絵として描き、広く頒 布し、一般大衆の欲望に応えた。当時の一般大衆にとってこ のような女性は真に高嶺の花であらた。そのような美人が将 軍や大名といった当時の上流階級に正室、側室として迎えら れたのである。この事は重要な事である。それはそのような 形質を次の子孫に与えた遺伝的影響はきわめて大きかったと 思われるからである。

江戸時代の将軍・大名にあっては彼らの上・下顎と関連する 咀鳴筋に発育不全が認められ、老年になっても歯の咬耗が全 く無いという驚異すべき事実であった。これは食生活の特殊 性に一つの原因があるとしか考えられないという。軟食が咀 疇器官の萎縮または発育不全を促し、将軍や大名の顔の幅を さらに狭くする役割を果たした。この狭顔型の顔貌は軟食と 母系遺伝的因子によりもたらされたものである。両者は相乗 され、その結果、徳川将軍や大名家にみられるいわゆる貴族 顔が出来上がったと結論づけた。 

さらに古人骨の研究結果、先史時代から江戸時代を経て現在 に至るまで時代と共に日本人の頭型、顔型、鼻型、眼寓型の 各形質は変化し、顎は退化してきた。そして今の日本人の顔 つきになったという。 

そして衝撃的なことは将軍・大名の顎は軟食により著しい退 化現象を起こし、現代人をも超越して、その延長線上にある 近未来人の姿であるとも述べていることである。この説に他 の人類学者も肯定的である。 

軟食による顎の発育不全の警鐘が鳴らされ、このことは一大 センセーションを巻き起こした。何故なら現代ではファース トフードがもてはやされ、今の子供たちは硬い食品を避け、 カレーライス、ハンバーグ、オムレツ、ラーメンにスナック 菓子などの軟らかい食品を好むからである。 

これでは江戸時代の将軍や大名なみの華奢な顎となり、身体 は大きいが体質の弱い子供になってしまうのではと懸念され た。事実、小児の骨折が多発したり、小児成人病なる言葉も 使われだした。今の子供の体内で得体の知れない現象が起き つつあり、その表面に現れた現象の一つが顎の退化ではない かという不気味さが醸しだされてきた。 

顎が小さくなっていると主張する学者によれば、ここ約30年間で劇的に小さくなっているという。井上氏は先史時代か ら咬耗の減少、すなわち軟食することによりほぼ平行して顎 骨が縮小してきたと説き、伊藤氏はネズミに練性食品のみを 与えて飼育し、第六世代以降では下顎枝を中心に顎骨の縮小 が認められると報告した。

李氏は食生活の変化により1965年を境に下顎骨の縮小と 皮質骨の非薄化が現れていると述べている。その他、顎の退 化に関する多くの論文が報告されている。 

軟食により顎の発育が悪くなり、不正咬合になるというこの 事は一見真実味があり、多くの人々に信じられてきた。しか し、ネズミを用いた実験は日常生活ではありえないような極 端な条件下での結果であり、また、李氏の論文では肝心の歯 槽骨基底部の測定値が求められていない。長岡、山内氏らは 40年前の計測値と比較してみるとむしろ上下顎とも大きく なっていると報告した。 

町田氏は若者の身長が著しく伸びている現在本当に顎だけが 小さくなっているのだろうかという疑間をもった。下顎骨は 大腿骨や脛骨と同じ長管骨に属し、これらは同じ機序で成長 発育するという。身長が伸びれば同じ機序で大きくなるはず である。佐藤氏もその論文で下顎骨の成長速度は身長、手指 骨長、頸椎長のいずれに対しても類似性を示していると述べ ている。町田氏は20年近くもの間、患者を3オから2ヶ月 毎に口腔内の診査を続け、成長発育の状態を長期間、詳細に 観察してきた。そして乳歯や永久歯の早期喪失を来すことな く永久歯列へと移行させることができた。 

ところが、完成期の配列状態は正常歯列、叢生歯列、空隙歯 列へと三型の歯列弓に分かれてしまった。これらの子供たち の成長期の摂取食品について調べてみるといずれも比較的軟 らかい食品を取り、食生活にはほとんど差が認められなかっ た。また、叢生歯列の子供の親の歯並びはやはり悪いものが 多く遺伝因子の関与が示唆された。 

以上のことから成長発育期の摂取食品の硬軟と永久歯列の排 列状態との間にはほとんど関連性はないものと考えられた。 また、側貌頭部X線規格写真を用いて永久歯列期の各排列状 態と顎骨の大きさとの関連性について直接計測してみた。す ると過去30年前から行われてきた各研究者の計測結果より も大きな値を示していた。歯槽部は小さくなっているどころ かむしろ大きくなっていたのである。さらに歯並びの悪い成 人を調査すると小児期に齢蝕羅患率が極めて高かった事が 判った。

現代の若者の顎はむしろ30数年前よりもやや大きくなって おり、また、歯並びの悪さの原因は遺伝的要素と虫歯羅患率 によるものであった。 

さらに顎の大きさと摂取食品の硬軟とは関連性がないと町田 氏は結論づけた。この論文結果を追試するため中原氏は青年 男子の顎の石膏模型にてその歯列弓長径、同幅径、歯列弓三 角を計測し、同方法の60年前の計測値と比較してみた。 

すると全ての数値において現在の方がより拡大を示していた。 このことは間接的ながら顎が大きくなっていることが示唆さ れた。また、日本小児歯科学会では全国の歯科大学小児歯科 学講座から提供された頭部X線規格写真を30数年前の計測 値と比較検討した。その結果、やはり顎、顔面頭蓋の長さの 増加は著しく、深さの増加も補正値以上であり、幅の増加は 下顔面部で顕著に認められた。 

一般に信じられていた顎の退化は研究者の地道な研究の結果 むしろ大きくなっていることが判明した。しかし、町田氏も 指摘しているように、だから直ちに硬い物を食べなくてもよ いという事では決してないと述べている。このことを一言付 け加えておかなければならないと思う。 

口腔及びその周囲は咀鳴以外に会話、呼吸、精神的な緊張に よる噛みしめなどによっても常に働いている。日系アメリカ 人や日系ブラジル人などの顔は両親が日本人でありながら 我々日本人からみるといわゆるバター臭い顔、すなわち外国 人のように感じることがある。日系アメリカ人の顔の審美的 な調和についてアメリ力人、日系アメリカ人、日本人との比 較を行うと日系アメリカ人の値はより白人の値に近づいてい る。これは言語発声様式の違いによるためと言われている。 

外国語は日本語に比べ口唇周囲の筋肉を動かすことがはるか に多い。このことは我々が英語や他の外国語を発声するとき に如実に痛感するところである。日系アメリカ人と日本人と の間の形態的な違いはこの下顔面を中心とした筋肉の差にあ る。このように顔貌を決定するものは咀鳴という機械的運動 だけではない。

また、鼻疾患や前歯の著しい唇側傾斜により口唇の閉鎖が困 難な場合には日呼吸を生じやすい。その場合上下口唇は厚く なり、緊張感を欠き常時開口気味となる。いわゆるアデノイ 

ド顔貌を呈する。スポーツ選手の歯は瞬発力を必要とする時、 相当の咬合圧を受けている。歯、顎がしっかりしていること がスポーツ寿命の鍵を握っていることはよく知られるところ である。その他、歯のくいしばりや歯ぎしりの総称として用 いられるプラキシズムの時にも相当の咬合圧を受けている。 これは健康レベルにあるヒトでも夜間睡眠中に相当長時間に わたって上下顎歯を咬合接触させていることが明らかにされ ている。これらは咀鳴時以上の機械的咬合圧である。 

将軍家の食生活は時代によって多少の違いはあるが、五代将 軍綱吉の頃から形式化してきたといわれる。 

将軍の朝食は一汁二莱であった。案外質素である。毎朝の肴 は鱚(キス)という白身の魚が出たという。なぜ鱚を食べるかという と鱚は読んで字のごとく、魚篇に喜ぶと書き、おめでたい魚 とされていたからである。しかし、これを1年間365日、 一生の間、毎朝、同じお菜を食べ続けるのである。新鮮なも のなら非常に味のよい魚だが毎日となるとどうだろうか。 

また将軍の食膳に入れてはならない食品もたくさんあった。 現在、ビタミン・ミネラルの補給源としてなくてはならない 野菜・海藻・果物の中の多くの種類が献立からはずされてお り、食べられなかったのである。ネギ、にら、にんにく、 

らっきょう、ふじ豆、さやえんどう、わかめ、あらめ、ひじ きなどの野菜、海藻類。このしろ、まぐろ、さんま、いわし、 さめ、いな、なまず、ふな、こい、あさり、かき、赤貝など の魚介類と千物類。魚は主に白身のものが選ばれ、赤身は下 等とされた。鰹は刺身として食膳に上ることはあった。しか し、この刺身の魚くささや脂肪をぬくため、 一切れずつ水 でよく洗うので身が縮れてアライのようであったという。 

天ぷら、油揚げ、納豆など一切だめ。これらは以下物といっ て食膳には供されなかった。獣肉は兎だけで、鳥肉は鶴、雁、 鴨しか使わず、それも狩猟の成果を祝うものとして、あるい は季節的な贈り物として登場してくるが、常食されていた

ものでない。要するに蛋白質、脂肪分が甚だ少なかったと思 われる。瓜、桃、みかん、すももなどの果物は食膳にあがる がただ見るだけの飾りであったそうである。まるで栄養価の 高い食品を選んで除いたのではないかと思うほど乱暴な制限 であった。 

将軍の生活は午前中は日によって儒教や歴史の講義を受け、 また武道の稽古もする。きちんと稽古着に着替え、道場に出 て、竹刀をもって稽古するといえば聞こえがいいが、これも やがて形式化され、稽古たるや竹刀で床を3回たたくだけで 終わりとなる。あまりにも運動にならない稽古であった。初 代将軍の家康は鷹狩りや水泳で体を鍛え、また毎朝、集中力 と筋力を高めるため、的をねらって必ず鉄砲を3発撃ってい たという。そしてこれを終生続けたといわれる。後代の将軍 とは大違いである。家康の教訓は生かされなかったのである。 

発掘された前期将軍の身長は当時の一般庶民の平均身長より まだ高い。しかし、後代の将軍になるほど体格も悪くなり、 身長も一般庶民より低くなる。これは将軍の食生活が形式化 されるのに伴っており、その辺の事情を物語っているのでは なかろうか。諸大名も将軍家を最高の規範としていたから食 生活も将軍家にならったもので低栄養な食生活であったと考 えられる。 

人間の体格を決めるのは遺伝的要因や人種の違い、環境的要 因としては生活習慣と栄養、運動などの諸因子がある。 

将軍や大名は日のあたらない不健康な生活を強いられ、成長 段階から制限の多い食生活であり、その内容は低蛋白、低脂 肪による低栄養の献立で育てられた。また運動らしい運動を 行うことも少なく、日常生活では緊張感を必要とすることも あまりなく、瞬発力を養う機会にも恵まれなかった。つまり、 

将軍や大名の骨や顎骨が華奢なのはこれらの積み重ねの上に できあがった産物と考えるのが妥当と思われる。 

発掘された将軍夫人たちの中で顎の萎縮がみられたのは唯一 皇室出身の和宮のみであった。上顎骨は狭くて小さく、後期 将軍と同様の典型的な歯槽上溝を形成し、下顎もまた発育が 悪く、庶民にはない歯槽下溝が高度に形成され、下顎骨体と

下顎技にみられる咬力伝達機構は将軍と同じく甚だ弱い。夫 家茂(十四代将軍)とは血縁関係は全くないのに頭骨の形質は まるで兄妹のように似ていたという。身長は当時の一般庶民 と比較してもかなり低く、体格もよくなかった。生まれたと きから、宮廷の伝統的で淡白な料理で育てられ、運動らしい 運動などもさせられなかった。また、大腿骨が異様に内転し ていた。しとやかさを失わないよう爪先を内側に向けて歩く ように教育された結果であろうといわれている。結婚してか らは、大奥で、やはり形式化された食生活を続けていたため 結核にもかかっていた。 

将軍たちと皇女和宮のみに顎発育不全が見られたのは今まで 述べてきたように食材の硬軟によるというより食物の質に問 題があったと考えられる。すなわち、低蛋白、低脂肪の食生 活や運動不足などによってもたらされたものといえよう。ま た、寡黙を強いられ、喜怒哀楽を大きく表現することも抑え られ、口腔周囲ならびに顔面筋の発達も悪かったと思われる。 

将軍、大名、そしてその夫人たちの細長い貴族顔は見方に よっては日本人の美意識が生み出した成せる技といえる。い や、人間のつくったアートといえるかもしれない。 

なぜなら、日本のみならず欧州においても同じ傾向がみられ るからである。スペイン王のフェリペ四世に代表されるよう に細長い顔は貴人の証でもあった。細長い顔は丸顔や角ばっ た顔より高貴さを表すのか、欧州の王侯、貴族はいずれも長 い顔を好んだ。洋の東西を問わず、細長い顔は高貴性をあら わし、また、威厳を与えると思われたのであろう。 

明治時代以降、戦争の一時期を除いて日本人は高身長化傾向 にあるという。明治以来、ほぼ10年に1センチの割合で伸び ており、さらに、ここ50年の間では2、4センチの割合で 伸びている。 

昭和30年半ばに入って高度経済成長を機に日本人の生活は 大きく変わった。子供たちも砂糖を含むお菓子類をふんだん に食べれるようになり、 一時う蝕が社会に蔓延したことは 周知の通りである。それまで日本の一般庶民は雑穀類を食べ ている方が多かった。それが現在ほど乳製品をはじめ肉、

魚を食べている時代をかつての日本人は経験しなかったと思 われる。 

この食材の質が急激に良くなったことと歴史的にみて日本列 島が高温期、温暖期にあるため、若者の身体が大きく伸び 育っているのである。そしてそれに伴い顎も一まわり大きく なっている。 

しかし、それ以上に顔の長さも大きくなっており、また身長 が著しく伸びたため身長の割合からみると比較的顔が小さく みえる。そして更に顎も細くなったように見えると思われる。 

将軍・大名の母系は代々全て細面の女性で占められており、 殿様顔(狭顔型)の形成は遺伝による細い顔、 一方、現代の若 者の細面は高身長に伴う長い顔、同じような顔でもその形成 の中身は別の理由によるものといえる。 

軟食による顎の退化がこれほどまでに世間に流布してきたの は日本人の深層心理の中に儒教的思想が根強くあるためでは ないだろうか。「軟らかいものばかり食べていても顎は退化 しません…」では面白くもオカシクもない。苦学励行とか努 力すれば報われる!といった言葉は今でも人の心の中に生き ている。「軟食していると顎が退化してしまう」と言った方 がインパクトがありそうである。だから好き嫌いを言わずに 何でもよく噛んで食べましよう。そうすれば顎の発育もよく、 

健康にもなります……。こういった教訓めいたものが日本人 には心理的に好きなのではないだろうか。 

この心理的なものと顎の退化論がうまく融合し世間に広く受 け入れられる土壌が日本社会にはあるのではないかと思われ る。 

アフリカで人類が発生したのは440万年前とも600万年 前ともいわれる。人類学は数百万年という時間で人をみる。 古人骨から現代までの骨を比較してゆくと顎の退化現象(い わゆる小進化)をはっきりみてとることができる。しかし、 数十年というスパンで人をみると顎は縮小どころかむしろ拡 大の様相を示していた。

退化(小進化)というものは一直線に進むものではなく、各時 代の生活環境因子、例えば栄養や気候などにも大きく左右さ れ波線を描きながら進んでゆくものではないだろうか。 

人間にとって好ましいと見られる変化は進化として受け止め、 反対に好ましからざる変化を退化とみなす傾向がある。 

現代の高身長傾向とそれに伴う変化が進化といえるのか、そ れとも反対なのか、現代人がそのどちらに向かっているか、 それは判らない。 

平成13年(2001)5月 

郷土綜合雑誌 那須野原 第12号

〔文献〕 

  1. 鈴木 尚他 増上寺徳川将軍墓とその遺品、遺体 東京大学出版会
  2. 鈴木 尚 骨は語る徳川将軍・大名家の人びと 東京大学出版会
  3. 鈴木 尚 日本人の骨岩波書店 
  4. 町田幸雄 顎は小さくなっていない。 日歯医師会誌 
  5. 町田幸雄 乱ぐい歯の原因は「軟食」ではないってホント? 「みんなの 健康」朝日新聞社 
  6. 町田幸雄 「軟食と歯並びの悪さとは無関係」 キューピー株式会社
  7. 樋口清之 日本食物史柴田書店 
  8. 樋口清之 食べる日本史 柴田書店 
  9. 中原 泉 顎は大きくなっているが……。 日歯医師会誌 
  10. 中原 泉 現代人の歯と顎、平成十年生涯研修ライブラリー 日本歯科医 師会編 
  11. 日本小児歯科学会編 日本人小児の頭部X線規格写真基準 値に関する研究 小児歯科学雑誌 
  12. 埴原和郎 歯と人類学の話 医歯薬出版 
  13. 埴原和郎 日本人の形成史 日歯医師会誌 
  14. 井上直彦 歴史時代における咬合の退化 歯界展望 
  15. 井上直彦 歴史的にみた顎の発育推移 日歯医師会誌
  16. 井上直彦 鎌倉時代の歯科疾患 歯界展望 
  17. 伊藤学而 食品の硬さと顎の変化 日歯医師会誌 
  18. 伊藤学而他 顎骨の退化に関する実験的研究 日矯歯誌 
  19. 伊藤学而 古人骨と現在人にみる咬合の推移 西日矯歯誌 
  20. 伊藤学而 中世日本人におけるデスクレバンシー 歯界展望
  21. 李志強他 成人男子における最近二十年間の顎 顔面形態の変化 東北矯歯誌
  22. 黒江和斗他 食物の軟化による咀疇器官の退化 西日矯歯誌 
  23. 長岡一美他 現代日本人成人正常咬合者の頭部X線規格写真および模型計測による 基準値について 日矯歯誌 
  24. 山内積他 最近の日本人正常咬合者の顎顔面形能一について 日矯歯誌 
  25. 佐藤亨至 思春期性成長期における身体各部の成長タイミングに関する研究 日矯歯詞 
  26. 杉浦三香 叢生歯列の発現に関する累年的観察 歯科学報
  27. 与五沢文夫 歯科と顔 日歯医師会誌 
  28. 久保田公雄也 現代日本人の歯の大きさについての観察 日大歯学
  29. 大 「顔」展図録 読売新聞社 
  30. 佐藤方彦 日本人の鼻はなぜ低い? 日本経済新聞社
  31. 亀谷哲也 中世日本人の顎顔面形態 歯界展望 
  32. 茂原信生 ヒトの咀嚇器官の未来を示すもの 歯界展望
  33. 原島 博 顔を科学する 日歯医師会誌
  34. 塩野 幸一 食生活の変容と歯科疾患の疫学 歯界展望
  35. 茂原 信生 イヌと将軍に学ぶ 歯界展望