かって東歯医専には遠藤至六郎という教授がいたという。もちろん面識があるはずもない。現在残っている写真を見ると気 迫溢れる強面のツラ構えである。
若き日にドイツに留学し、 Docter Medicinc Dentarie(DMD)の学位を得て帰国した。東 歯医専での講義はドイツ語で行い、しかも厳格であったという。
当時の学生には大いに迷惑だったに違いない。しかし、多く の学問的業績を残し、その逸話は今日でも語りつがれている。
さて、現在の東歯大のポリクリ実習の仕組みがどうなっている のか私は知らないが、私たちの頃は学部3年の後期から始 まった。学生は苗字のあいうえお順に保存、補綴、口腔外科 の各科に振り分けられ、2ヶ月毎に各科をロ一テーションする事になっていた。
私の最初の実習は口腔外科外来からであった。当時、術後の 疼痛対策としては主にゴスペロールという鎮痛剤を処方して いた。これはアミノピリン500㎎、フェナセチン500㎎、計1gの散 剤で半透明の連なる薬包紙に入れられてあった。
ある時、ライターの1人が畏敬を込めた表情で、「この薬は かの遠藤至六郎先生が調合されたものなのです」とおごそか に言ったのを今でも覚えている。
2ヶ月の口腔外科実習の後、次は保存科実習へと廻った。そこでは鎮痛剤にゴスペロールは使われていなかった。さらに 2ヶ月して補綴科実習に入った。補綴科では投薬はなかった。 そして再び口腔外科外来へと廻って来た。その時にはもうゴ スペロールは使われていなかった。代わって鎮痛剤はポン タールヘと移行していた。また時にはイングシンなども処方 されていた。その後、再び保存、補綴科実習へとまわった。
いつしかゴスペロールの事はすっかり忘れていった。
東歯大を卒業してから他大学での長い医局生活を終え、都内に ある同窓の歯科医院の代診を始めた。
そこに幼稚園の先生をしているという若い女性が来院した。 診療の傍ら話を聞くとクリスチャンであった。私はかねて宗 教には関心があったが、特にキリスト教には興味をもっていた。 そこで彼女の礼拝している教会を見学(?)させて頂く事に なった。大きな教会で日曜礼拝には200人から300人が来てい たと思う。それだけの規模の教会であったので聖歌隊を持っ ていた。彼女はその聖歌隊のメンバーであった。
聖歌隊は白いベレー帽にスコットランドの民族衣装であるキ ルトのような服装をして祭壇に向かって左側に整列していた。 儀式が進み、やがて牧師は「聖歌隊の皆さんにゴスペルを 歌っていただきましょう」と言った。そしてゴスペルについて説明し始めた。其の時まで私はゴスペルという言葉を聞いたことがなかった。
アレ・・・?ゴスペル・・・・?はて?ゴスペル・・・・どこかで聞いたような名前だ、ゴスペル・・・。そうそうゴス ペロールだ。そうだ、ゴスペロールだ。かなり以前に聞いた 名前だ。そうだ、思い出した!鎮痛剤だ!学生の頃、使った鎮痛剤の名前だ。
牧師はゴスペルの意味を話した。「ゴスペルを日本では福音と訳しております。これはあなたがたの苦しみを取り除き幸せをもたらす神からの便りなのです。」というような事を述 べた。
そうか、そうだったのか、するとあの鎮痛剤は「あなたの痛みを取り除き、再び幸せをもたらしますよ、あなたの歯痛を取り 去ってあげますよ」これは言い得て妙!その時になって初めてゴスペロールの名前の意味を悟った、と思った。
多分、ゴスペロールはゴスペルから由来しているのであろう と今でも確信している。
遠藤教授がクリスチャンであったかどうかは知らない。しか し、ドイツに長く滞在していた。ヨーロッパはキリスト教の 文化圏である。遠藤教授がクリスチャンであろうとなかろう と多かれ少なかれキリスト教の知識や影響を受けていた事は 想像に難くない。遠藤教授は患者の痛みや苦痛を診て、いか にその苦しみから解放してあげたいという気持ちを持っていたのだと思う。それは 遠藤教授の患者に対する心の優しさの現れであったと思う。それで自分の調合した製剤にゴスペルから名 と取リゴスペロールと命名したに違いないと思った。
私の学生時代をふりかえってみるとライターや先輩が遠藤教 授をわざとエンドーイタロクロー先生とかイタロクローさん などと呼んでいる事が多かった。正式にはシロクロウであっ たが、これも遠藤教授の人柄に対する尊敬と愛着であったか と思う。
今ではゴスペラーズという名の歌手グループもおり、ゴスペ ルという言葉も比較的ポピュラーなものとなっている。しか し、当時ゴスペルという言葉を知っている人は教会や 音楽関係者だけではなかったかと思う。
鎮痛剤ゴスペロールの名は私より年輩の同窓の先生方は良く御 存じの名前ではなかったかと思っている。私の手元には遠藤 教授に関する資料は何一つない。今回の文章はかつて学生時 代に東歯大の図書館で読んだ資料の記憶を辿って書いてみた。
手元にある資料といえばかろうじて血脇守之助伝一冊である。 そこには遠藤教授に関する資料は少ない。遠藤教授が写って いる2~3枚の写真と或る論文が血脇賞授賞の対象になった事 くらいである。しかし、今回血脇先生の年表を繰って見ていたら遠藤教授が逝去されたのは昭和17年であることを知り驚 いた。
するとゴスペロールは私たちの学生時代までのなんと四半世 紀以上にわたって調剤され続けていたことになる。
そして患者の痛みを取り除き、まさに患者に福音を与え続けていたのである。
あらためて遠藤教授の偉大さをしみじみと知った次第である。
ここに、天国にいる遠藤教授に深甚なる敬意と感謝を表わし、 その霊にゴスペルを捧げたいと思う。
歌えゴスペル!響けゴスペル、そして天まで届け、ありがとうゴスペロール!
東京歯大栃木県同窓会報第2号 平成18年(2006)10月