「シカ?」と兄嫁は怪訝な顔をし、「シカ、、、?」ともう一度くりかえして、「エエエエーッ、シカって? 歯医者のこと?歯医者って歯を治療するところじゃないの?私が痛いのは歯肉だよ」と言われ,鼻白んだことを覚えています。
これは県北の或る歯科医院の奥様から聞いた話であります。
その奥様も歯科医であり、卒後口腔外科に在籍された方であります。
なんでも、その歯科医院の前で交通事故が起きたそうです。人身事故です。被害者は顔面出血、それも出血がかなり飛び散りました。被害者はもとより加害者もビックリ仰天、これは大変なことになった。とにかく病院へ、それも大きな病院へ行かなければならないと思ったようです。
そこは隣のF県との県境の町です。F県のS市には規模の大きな厚生病院があるのを知っていました。加害者は被害者を乗せて、そこへ車を走らせました。幸い救急部に受診することが出来ました。そこのドクターは「はい、これで応急処置は終わりました。後は近くの外科で診てもらってください、一応、処方箋だしておきましょう、」と言いました。
そこで被害者は隣町のK記念病院の外科を受診しました。そこの外科医は「むむむ、、、これはどちらかというと外科というより耳鼻咽喉科領域に入る疾患だから、耳鼻科へ行って診てもらったほうが良いと思うよ。そこへ紹介状を書いておきましょう、それから処方箋きっておきましょう」と言いました。
被害者は紹介状をもって耳鼻咽喉科を受診しました。耳鼻咽喉科医は「むむむ、、、これはどちらかというと耳鼻科というより歯科領域に入る疾患だから、歯科医院へ行った方良いと思うよ、とりあえず処方箋だしておきましょう」と言いました。
被害者は交通事故が起きたのは、歯科医院の前であったことを思い出しました。そこで被害者はその歯科医院を受診しました。下顎前歯歯槽骨骨折であったそうです。
近頃、私も耳鼻咽喉科から患者の紹介を受けました。患者は紹介状と共に4っ切りフィルム数枚とCT画像も持ってきました。診断名は頬部蜂窩織炎という仰々しい診断名が付いていました。
その患者は大手工場の工員さんですが、勤務中突然左顔面部の腫脹を来たし、あわてて工場備え付けの診療所に駆け込んだとのことでした。
そこの常勤の内科医師はこの疾患は耳鼻咽喉科領域のものと判断し、そちらへ紹介状を書きました。確かに顔面部の腫脹は著しいものでありましたが、膿瘍は歯槽部に限局し頬歯肉境界より頬部まで拡がってはおりませんでした。
一般医師は症状を仔細に診ていないのです。顔面分野なら耳鼻咽喉科へ廻せばよいと思っているのです。歯科診療分野に関しては無知と言っても良いほどまったく何も分かっていないのです。
最近、歯科医師会によって口腔ガン検診が始められました。しかし、患者さんから「なんで歯医者さんがガン検診するのですか」とか、硬い歯にもガンができるのですか?などといわれる始末です。一般の人々にはいぶかしく思う人も少なくないのです。
先日、歯内療法をしていた患者が「ここを終わったら口内炎ができているので皮膚科に行こうと思っているのです」と言いました。診ると口唇頬粘膜移行部にかなり大きなアフタがありました。患部を薬液で洗浄し、レーザーを照射し、薬剤を塗布しました。患者から「歯医者さんって、歯の治療だけするのかと思っていたが、こんな事も出来るのね」といわれギャフンであります。
この前はこんなことがありました。電話が入りました。午前中予約の患者からでした。その患者は左上の根の治療をしている方でした。「今、内科に来ていて、もう2時間待っているのだが、混んでいてまだ診てもらえない。歯科の予約を午後に変更してもらえないか」とのことでした。午後来院したその患者から話しを聞いて唖然としました。
「昨夜から急に右の顎が腫れて痛いので内科行ったら、右顎下リンパ節炎なんだって、それで薬をもらってきた」とのことでした。
診ると、その腫れの原因は明らかに歯性からのものでした。患者は歯から少しでも離れた部位の疾患は他科領域と思っているようです。
こんなこと書いていると枚挙にいとまはありませんが、多くの先生方が経験していることと思います。私はこの地域で診療していて思うことは、患者さんの歯科に対するイメージは「歯」のそれも歯冠部にしか意識がないことです。
確かに、一般の人々が眼にするのは歯の歯冠部しかないわけです。やむをえないのもあるでしょうが、X―P画像で説明してもあまりピンとこないようで、抜いた歯の歯根をみて「ヒェー、歯ってこんなに長いもの!」と初めて気づく方が多いようです。
私は学校歯科医もしております。今年は学校から保健委員会の連絡がありませんでした。何かのついでとき養護教諭に聞いてみました。すると「今年のテーマはインフルエンザなので歯医者さんには関係ないと思いましたので、声をかけませんでした」と云われてしまいました。そういえば「喫煙」のテーマのときもそうだったなぁと思い出しました。つまり、歯科医療とは「充填」と「抜歯」と「義歯」というきわめて限られた医療行為としか思われていないのです。
かねがね気にはなっていたのですが、「歯科」という標榜は一般の人々はもちろん一般医師にも、その診療対象が「歯」のみの極めて限られたイメージを与えていると思います。 これは「歯科」という標榜に問題があるように思うのです。
標榜という問題はあくまで患者が受診するのに便利であることが第一であります。歯科の診療分野を一般の人々にもはっきり分かるような診療科名にしなければならないと感じました。そのため今まで述べてきたように、「歯科」という標榜は患者となる一般の人々に不利益をもたらしているのです。
名は体を表わすといいます。今まで話してきましたが「歯科」という標榜を早急に代えるべき時期がきていると思います。
現在の歯科診療領域はかなりの広範な診療分野であります。う蝕、歯周疾患は言うまでもなく顎外傷、不正咬合、口腔腫瘍、顎関節、唾液腺疾患、神経疾患、口腔粘膜疾患、兎唇口蓋裂、摂食嚥下指導,周術期医療への参入など多岐にわたっております。
最近、顎関節症はう蝕歯周疾患に続く第三の疾患とさえ言われてきております。これはスマホ・パソコンとの関連が指摘されております。
それにもかかわらず、その領域の業績は一般にはあまり知られておりません。「歯」という人体の一小器官を標榜とし、また大学の学部名に持ってきたことが誤ったイメージを世間に与えているのです。
そろそろ診療科の名称を代えるべきです。医療は患者のためにあるのです。患者に迷惑をかけることがあってはならないのです。
実は「歯科」という名称はそれほど古いものではありません。歴史的にみるとむしろ新しい名称なのです。「歯科専門」の医師という名称が公的に出て来たのは明治8年(1875)のことです。
それまでのわが国の長い歴史の中で公的機関に「歯科」という名称はありませんでした。では、何と言ってきたでしょうか。それは「口中科」であり「口中医」でありました。


