②口腔史の流れを紐解く

 歯科用器具


 

     さて、古来、「辿って来た道を知ることは未知の道を拓く知恵が養われる事」と申します。ここで、かなり回り道になりますが、過去を振り返ってみるのも意味がある事かと思いました。

 資科に医療分野が出てくるのは、大化の改新末期、大宝律令(701)がつくられ、養老律令の中の医疾令(718)です。そこでは耳鼻口歯科と称されておりました。

 平安時代、朝廷医丹羽康頼が活躍し「医心方」を編集して、その中にう蝕や歯槽膿漏の治療の事も記載されています。

 平安末期には口歯科となり。南北朝室町時代に口中科と名称が変わりました。以後。戦国時代、安土桃山時代、江戸時代を経て明治期に至るまで一貫して口中科でありました。

 安土桃山時代に口中医として特に有名なのが丹羽兼康(13361392)です。この方が口科専門医の祖として知られております。

 丹羽一族はこのころから口中専門医家となり、その子孫は江戸時代まで口中科を受け稚ぎました。兼康の子孫は朝廷、幕府それぞれに仕えており、7代丹羽光康は口中医として徳川5代将軍綱吉(16461706)を拝診した記録も残っております。兼康の御子孫は現在も続いていらっしゃいます。

 公的機関である朝廷や幕府の口科専門医の名称は「口中医」とされておりました。

 一方、江戸時代になって、庶民のニーズから自然発生的に歯抜き師、入れ歯師、歯医、歯医者、歯薬師、果ては香具師などと呼ばれる人々が現れました。

香具師とは祭礼や市立に大衆の中で抜歯や歯磨き粉、膏薬などを売る輩とされており、当時彼らは免許や資格があったわけでもなく、ただやってみたい人が勝手にやるという野放し状態でした。


歯科とは                                       next