③近代口腔史の黎明


咬合器
 明治新政府は法的に医制を整備するため、明治8年(1875)医術開業試験を実地しました。当初は内外科(一般医科)の他、内科、外科、産科、眼科、整骨科、口中科の専門科での受験も認められました。医制では「口中科」という科目であり、もちろん「歯科」という名称はありませんでした。

ところが受験生の一人小幡英之介は、なぜか口中科という名称を嫌い、「歯科」という名称での受験を頑固に主張し続けました。前述しましたが、「歯科」という名称は市井の「歯抜き師」や「入れ歯師」のイメージと重なり、口中科より「歯」に限局した非常に狭い範囲の医術の響きがあったのです。しかし、小幡英之介はなぜか「歯科」での受験を主張しました。

 小幡はその時25才、性格は豪放であったが、頑固で潔癖であったそうです。小幡英之介が診療分野を「歯」のみに限局したようにもとれる「歯科」という名称になぜこだわったか、敢えて診療分野を制限するような名称にしたのか、謎は残ります。

 これが後世、近代口腔医学に大きな災いをもたらすことになろうとは、小幡自身も夢にも思わなかったでしょう。小幡英之介が口中科の名称のままで受験しておれば、口腔医学の展開は現在とは大きく変わったものになっていたと思われます。

 「歯科」という名称を選択したことにより口腔医学の発展を大きく阻害したことは否めません。その点で小幡の罪は軽くないと思います。

小幡英之介の提唱に東京医学校(現在の東大医学部)では先例がないため困惑しました。内務省衛生局とも協議し、たった一人のため、明治8年(1875)4月わが国初の歯科専門の試験が行われました。

そのとき出題された口頭試問の内容も近年明らかになっております。「小幡英之介伝」ではその時の状況を、こう書いてあります。「小幡の答弁流れるが如くして試験官をして感動せしめたり」と記されており、これが通説となっておりました。

ところが最近の資料発掘によって、意外にも小幡の成績はふるわず「中の上」ということがわかりました。東京府知事から内務卿大久保利通宛に出した免許下付につき指示願いたい旨の上申書には小幡の成績は中の上と記載されていたのです。

つまり、このような成績の者ですが免許交付どうします?ということです。これでは通説の「小幡の答弁流れるが如く、、、」とは言い難いようです。

いずれにしても。明治8年(1875)10月2日付で小幡英之介に歯科医術開業許可がおりました。小幡は診療所を東京京橋に構え、早くも同月12日から6日間にわたって東京日日新聞に開業広告を出しております。

しかし、広告では「口中療治」となっております。名称は歯科でなければダメだとゴネた方が、広告では「口中療治」とは、これまたいかがなものでしょうか。

その後、小幡は診療に励み、門下生の面倒はよくみたが、公事に携わることを好まず、試験官など依頼されても代理の者に任せたといわれております。

小幡英之介はこれをもって近代歯科医師第1号と呼ばれております。しかし当時歯科医師という身分制度は法令上存在しておらず、正確には当時の「医制」からみると医師であり、歯科専門医ということになります。さらに細かく言えば明治政府は法律的には依然として歯科の名称を認めておらず、「口中科」でありました。

明治12年に制定された「医師試験規則」でそれまでの専門科名「口中科」から公的機関としては史上初めて「歯科」の名称に変わりました。

数百年続いた口中科の名はあっさり葬り去られてしまいました。一受験生が提唱した歯科が法律用語になってしまうとは奇怪なことであります。

しかし、とにかく「歯科」という用語が採用されてしまいました。診療対象が口の中のそれも「硬い歯」だけという、非常に幅の狭い医術というイメージを与え、これが徐々に歯科の排斥に繋がる端緒ことになろうとは、この時誰も考えてもみなかったことでしょう。

これより先、高山紀斎は明治11年(1878)2月、7年間にわたる米国滞在を終え、米国歯科医術開業資格を取得して帰国しました。

この方は来日中の宣教師につき実践的な英語を学びました。その語学力を武器として新しい職業を考え、特に目標があったわけでもないが、とにかく米国へ渡りました。

ところがある時、突然激しい歯痛におそわれ、歯科医院に飛び込みました。処置を受け、たちまち激痛が消え、このとき初めて西洋歯科医学に接したのです。これぞ自らに課せられた天職と悟り、歯科医を志し、その歯科医の助手となって働くようになったということです。

帰国した高山に下付された日本の医師免許は口中医ではなく不思議にも「内外科医」でありました。以後、高山紀斎は小幡英之介と違い積極的に公的な役職につき、口腔衛生の普及や歯科医学校の設立にも尽力しております。

しかし、高山は「口中科」に戻すという運動は全く行っておりませんし、考えても見ませんでした。


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